マイセン双剣マークの由来はどこから?
マイセン双剣マークの由来はどこから?
マイセンのマイセンたる証拠となるのが、青い双剣マークです。
このサイトの両側にも並んでいますね (^_-)-☆
では、
この双剣マークは、いったいどこから生まれたのでしょうか?
マイセン日本総代理店ジーケージャパン橋田正信氏の著書
「マイセン磁器」によれば、
剣マーク(Schwertermarke)
1722年、マイセン製作所の検査官であったシュタインブリュック
は、マイセン磁器の窯印として、ザクセン選帝侯の紋章から
「双剣の文様」を使用することを提案した。
それまではアウグスト・レックス(アウグスト強王)の頭文字AR
を組み合わせたものが使われるか、場合によっては何も描かれな
かったのである。
剣のマークが正式に採用された後、マイセンでは最高責任者が交
代した時などに、少しずつ形を変更し、その変遷は、アンティー
ク鑑定の時の一助になっている。
とあります。
ザクセン選帝侯アウグスト強王は、言わずと知れたマイセン磁器の
産みの親(実際に磁器を作り上げたのはベドガー)ですが、この
ザクセン選帝侯というのが、双剣マークのキーとなります。
ウィキペディアによれば、
選帝侯
選帝侯(せんていこう、独: Kurfürst)は、神聖ローマ帝国において、
ドイツ王ないしローマ王(すなわち神聖ローマ皇帝)に対する選挙権
(選定権)を有した諸侯のことである。
とあります。
この選挙は、1198年から1806年まで行われており、
マインツ大司教、ケルン大司教、トリーア大司教、ライン宮中伯(バイエルン公)の4選帝侯から始まりました。
1257年から選帝侯会議は上記の4人にザクセン公、ブランデンブルク辺境伯が加わり、
1289年、ボヘミア王が加わって7選帝侯となりました。
さらに
選帝侯はそれぞれ、名義上神聖ローマ帝国宮中の官職を持っており皇室の一員とされました。
一番最初に選ばれた4名の選帝侯のうち、
3名の聖職界の選帝侯は「大書記官長」、
ボヘミア王は、「献酌長官」、
ブランデンブルク辺境伯は、「侍従長官」、
ザクセン公は、「式部長官」。
そして、
この「式部長官」を示す個別の紋章が
右にある「マイセンの双剣マーク」のもと
となった「双剣の紋章」なのです。
ちなみに7選帝侯のうち、ザクセン公だけが皇帝を出していないそうです。
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